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wacana*のこと

wacana*

Author:wacana*
wacana*です。
高二病を経て最もしたいことが見えてきました。

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『星の王子さま』からブログタイトルをかゑる*

2012.05.31 11:00|ブログのこと
ブログのタイトルを変えようかと思っている。「私の頭の常」も十分気に入っているのだけれど、その私の頭に常にある感覚が変更をさせようとする。
以前見ていたテレビで、『星の王子さま』についての解説が行われており、そこで出てきた言葉だった。
『星の王子さま』を読んで、そこに秘められたサンテクジュペリの真相を考察するというレポートを大学時代に書いたことがあった。空のように壮大だった。当初そのような本だとは知らずかなり焦った。なんせ、いくら書いても、本のページが進まないのだ。
どんな真意があったのかは残念ながら忘れてしまったけれど、当時の彼氏の学期末課題を苦労して提出し、成績「優」を貰ったという背景があるだけに『星の王子さま』という本は、自分の近い所にいる存在だ。
その後、何年か経って知った、原文に出てくる、日本語では上手く説明できない語が私の心をうった。
―馴染みになる
―目にみえない精神的なつながり
それは王子さまとキツネとの関係を表現したものだった。形がないものだけに、もはやイメージとして理解するしかないのだ。
もし将来、お店を出すことがあったら店名をこれにしよう。お店をもちたい等という希望はなかったのに、なぜだか瞬間的にそう思い、直ぐさまメモをとった。

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アプリボワゼ

wacana*
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テーマ:星の王子さま
ジャンル:小説・文学

タグ:星の王子さま アプリボワゼ エッセイ wacana*

ここ数年思うこと*

2012.05.30 16:50|wacana*のこと
      独り占め




          なんてあきないのだろう。


          わたしのじんせいって。




           wacana*




テーマ:写真にコトバをのせて
ジャンル:写真

タグ:wacana*

岩手の海でだんごうおに出会ったぁ*

2012.05.29 23:42|岩手のこと
岩手の海を潜りました。11ヶ月ぶりのその海で、だんごうおとの出会いがありました。
それはそれは小さい魚です。1cmにも満たない身体です。マスクのレンズを通して見ることにより、それでも少しは大きく見えていたことでしょう。
可愛い、とは人それぞれで、
「はい、こっからここまでです。」という規定があるものではないのでこの表現では上手く伝えられないのは承知の上で言います。とっても可愛い。
新しい傘に雨が当たると、面白いほどよく弾きます。だんごうおチャンの身体はその弾いた水滴のような形です。そしてその水滴からは、身体の割に長くて、ピューッと細いしっぽが伸びています。目は真ん丸で、ちょっとタラコ唇のように見えます。それが昆布の上でちょろちょろ動き、昆布から離れてしまった折には重そうな身体で泳ぐ為に小さな背ビレを必死にパタパタさせていました。先程も申しましたが1cmには満たない小さいこです。それもまた可愛い。ダイビングなのにこんなにも1ヶ所でだんごうおを観察していたなんて、今回のダイビングは、スポーツというよりも、だんごうおに会う為の手段だったと思う訳です。こういうスタイルのダイビング初めてでした。

テーマ:岩手県の話題
ジャンル:地域情報

タグ:三陸ボランティアダイバーズ だんごうお 岩手 wacana*

今昔交換日記*

2012.05.28 21:41|wacana*のこと
高校生3年生の頃、交換日記をしていた。
2年生の時のクラスで仲良かった友達7人で始めた。どのタイミングでやめることになったのかは覚えていないがA5のノートはばらばらになって友人の元にある。若かった。内容は特別覚えている訳ではないのだが、交換日記というと一番印象深く、且つ今でも話題に上がるのがこの話。

教室を出た廊下に個人のロッカーがあった。体育の授業を終えてロッカーを開けるとそこに、見覚えのある茶色い物体があった。キョトン。この効果音がぴったりだ。私に手でも振っているかのような、貫禄ある様子でロッカーの真ん中を陣取っていた。そう交換日記のノートです。その日は私の番ではなく、勿論私が入れた訳でもない。そもそも鍵のかかったロッカーに・・・・ハッとした。カオリだ。お互いにロッカーのスペアを持っている友人だった。しかしカオリは交換日記をしているメンバーではない。ノートを手に持ちロッカーを閉めカオリのクラスに向かった。
「これロッカーに入れた?」
ノートを見せた。想定内の返事が返ってきたので質問を続けた。なんでもノートが落ちていてそれを拾ってくれた男子の友人がカオリに渡したのだと。私が体育でいなかったからだろう。なんにせよ、中身を確認したのだから持ち主がわかった訳だ。日記を見られるとはなんとも恥ずかしい出来事。

さて、その頃。日記を落とした人物はと言うと、手元にないことを知り、今まで見たこともない早さで走ったという。そもそもそれまで、その友人が走った姿を見た記憶もなかった。
同じ時間帯に、違う場所で、印象深い出来事が起こっていた訳である。

そんな友人達の2人と、また交換日記を始めた。大人になってからの交換日記とはいったいどんなものなのであろう。戸惑いながらも、少々楽しみである。


wacana*


テーマ:交換日記
ジャンル:日記

タグ:wacana*

美しの岩手*

2012.05.27 22:54|岩手のこと
岩手に行ってきた。
私が岩手に通うようになってからもうすぐ1年。4月末の春爛漫から1ヶ月で早くも夏の訪れを感じさせた。

緑が美しい。緑が映える。
常々、美しいとはどういう時に遣っているかのかを考えていて、岩手にくるようになってからはその答えが見えてきた。
美しいとは心が奪われること。美しさを目の前にして、それ以外のことを考えられなくなるのです。いやもしかしたら、考えるという概念さえもないのかもしれない。そういう時間が1日に何度も訪れる。だからなのだろう、それぞれ天気がいいことを声に出して喜び、花について感想を伝える。

岩手に通い始めて11ヶ月。
まだ見ていない残りの1ヶ月は、どんな岩手を見せてくれるのかな。


wacana*

テーマ:岩手県
ジャンル:地域情報

タグ:岩手 wacana*

『檸檬*』

2012.05.26 08:46|芸術のこと
万城目学氏のある本を読んでいて梶井基次郎の『檸檬』と出会った。国語でも歴史でも近現代の範囲に出て来たことはあったけれど読んだことはなかった。以前から知っていたのに読んでいないというのは無意識に興味がないってことになるのだろう。しかし、読むに至ったのは万城目学氏の書く文章が好きだからだ。好き、というのはアバウト過ぎるので、文章が面白い、からだ。面白い、も表現のレベルとしては同じか。では、クスッと笑ってしまう面白さが文章に散りばめられているからだ、でどうだろう。うん、これでよし。

そんな万城目学氏が自身の本にすんなりと溶け込ませていた『檸檬』。それも檸檬に関わる粋な話が紹介されており私の心をくすぐった。
カバーはどちらになさいますか、と本屋さんで聞かれ、全色集めようという意気込みがブルーにさせてしまった。自分の判断をすぐに悔やんだ。家に帰ってすぐさま同じ本屋さんの黄色のブックカバーに替えた。安心したら、自分が正座していたことに気付いた。
実はもう一つ残念な事実がある。『檸檬』を丸善で買わなかったことだ。丸善が登場する内容を把握していたのにも関わらず。なかなか粋なことが出来ないものですね。

『檸檬』
梶井基次郎自身の話のようだ。詳し内容は言わないでおくが、まさにその檸檬を売っている八百屋の描写が素敵だった。丸善でのことも。
そして主人公が今の自分に似ている気がした。特に好きなものが美しく見えなくなってしまった、という点。私にとっては詩がそうだ。突然何も感じなくなってしまった詩がいくつかあったのだ。何がそう思わせたのかわからないけれど、自分の心の変化をもろに感じたのだった。

そして何より、丸善を出た後で終っていた『檸檬』の続きが、現実で続いていたのだ。生きている文学だ。そう思えてならなかった。そして今私がここで『檸檬』の話を書くことで話の続きを作り上げる1人となる。
やっと少し、粋なことをしている気がした。


wacana*

テーマ:エッセイ
ジャンル:学問・文化・芸術

タグ:檸檬 梶井基次郎 万城目学 丸善 wacana*

エッセイ上野動物園 考察*

2012.05.25 08:46|wacana*のこと
さて、「久々の上野動物園」という出だしから、普通(っぽい?)を意識して書いた文章といつも通り書いたものを上げてみた。上野公園とパンダについてはどちらも綴ってみた。

文末が、ですます調であるかないかの単純な違いに見える。あとはいつも通りの方が描写を表す言葉がすらすら出てくる。意識的なものかもしれないれど。
決定的に違うのは笑いの要素。普通は笑顔、はにかみという爽やかなイメージにしたいのに対して、通常はお腹を抱えての笑いか一人でクスッというのを持っていた。他人様からしたら大差ないのかもしれないけど。

もう少し上手くかけるようになりたいな。


wacana*

テーマ:動物園
ジャンル:地域情報

タグ:wacana* 上野動物園 エッセイ パンダ

上野動物園* 通常のエッセイVer.

2012.05.24 01:06|wacana*のこと
久々の上野動物園。
私には馴染みの深い動物園。それは幼い頃から連れて行って貰ったこともあるし、小学6年生の写生大会で訪れたこともあった。でも何より、高校が上野にあったことが大きな理由かな。授業サボって行ったこともあったしなぁ。
最後に行ったのはいつだったと思い起こす。多分、10年位前。その後何度も目の前は通ったけれど、入ることはなかった。それなのに機会は唐突にやってきた。
上野動物園を前に、上野公園にスターバックス(それも凄い大きな店舗)が出来ていたのに衝撃。加えて噴水がなくなっているではないか!ダブルパンチ。
高校1年生の運動会。女子は強制的にチアガールをやらされる、、、いや、やることになる。5月、新緑の頃。その練習を上野公園でやるのだ。私たちからすると風物詩だが、全く知らない人には異様な光景に見えたと思う。ただ、この季節の変わり目、私たち以上に変な人もいた。練習前のストレッチで、上半身を前に屈伸させていると急に背中を押してくる人がいたり。また違う日には
「今日の試合、ジャイアンツと巨人どっちが勝ったと思う?」
と不明な質問をされたり。私の性格からして即座に突っ込みを入れたことは言うまでもない。
チアガールだけではない、沢山の思い出がある上野公園が、少しずつ変わっていくのは大変淋しい。何度も「うわぁー。うわぁー。」と淋しさを声にした。

さて、上野動物園。入園後、以前と変わらず、すぐに目に飛び込んでくるのはパンダだった。一旦は姿を消したものの、新たにやって来たリーリーとカンカンに動物園全体は賑わっているように見えた。勿論、私たちもパンダの列に並ぶ。とにかく凄い人。久々に長い列に並び早くも疲れてしまった。でもパンダが居るだろうガラスが見えると興奮してしまったのも確か。しかし、そこにパンダの姿は無かった。「なんでいないの?」という周りの反応は、私の心そのものだった。すると放送が入る。
「ただ今パンダは、野外におります。前方にお進み下さい。」
今までゆっくりとしか動かなかった列が、放送に合わせてもの凄い勢いで前進した。私たちもその波に乗る。ようやくパンダを目にした時、私たちは「おー!」という声をあげた。外にいるパンダを見たのは、初めてだった。なんせ外の空間が出来ていたことにも驚いた位だ。

1頭目のパンダはお食事中。だらし無い座り方でもぐもぐしていた。そんな姿を写真に収めようとする人達のカメラ光線が強烈すぎる。思わずパンダではなくパンダを撮る人達を撮ってしまう。
奥に進むともう一頭のパンダ。こちらは木や布を玩具に遊んでいた。またしても驚く。パンダといえば、前者のように笹を食べているか、寝ているかで、あんなに動く姿は見たことがなかった。外に居ることの効果だろう。
ただ、そんな動く様子をいくら見ても、やはりパンダは熊にしか見えないよね、というのが私たちの結論であった。

そしてパンダグッツを探す。折角ならかぶり物が良いよね、と探すがあいにく見当たらない。あーだこーだと女子3人でワイワイして、小さなパンダの縫いぐるみを買った。
この縫いぐるみ、手に磁石がついていて物にぶら下がることが出来る。購入してすぐお店の人にタグをとってもらいカメラのバンドにかけた。可愛い。何気なく何度も、人差し指でよしよししてしまうほどだ。

さて、最大の目的を達成した今、次に何を見ようという話になる。
「クマは外せないね。」
皆の意見はすぐさま一致した。
クマのコーナーに大きなクマの像があった。私が乗って写真を撮ろうと提案。像に近づくと、一足先に2人の子供がクマに飛び乗り、母親らしき人が写真を撮り始めた。しかし幼い方の子供は機嫌が悪いのか、女性が声をかけてもなかなか笑わない。それどころか、泣きそうになる。それを「あらあら」と見ながら待っていた。すると、愚図っている子供に対して、女性は
「ほら。待ってるから。」
と、私に指をさしながら、力強く言った。
動物園で一眼レフを首にかけ、クマの像と記念撮影を真剣に待つアラサー女子3人。女性の指差しがドキリともさせ、また笑いをも生んだ。

パンダ、クマときたら、会いに行かないではいられない。我が母校から唯二見えるシロクマだ。クマ三昧。そこは意外なことに沢山の人で囲まれまれていた。去る人の合間からシロクマが見えた。水の中で遊び、普通の熊よりも豪快に動くシロクマは見てて飽きない。
それにしたってこの人数、、、ぽくぽくぽく、チーン。
これは旭山動物園の影響ではなかろうか。行ったことのない私でさえ、旭山動物園とシロクマが結び付くのだから相当なアピールが行われているのだろう。そして実際行った人が感じた、シロクマの面白みや可愛さが相乗効果になっているに違いない。そうかそうか、と一人で納得する。本当はもっと見ていたかったけれどあまりの人に退散した。

閉園時間のこともあり、全てを見ることは出来なかった。久々の上野動物園を楽しんだ。
今度はサファリパークに行こう、という話になる。なんだかレベルアップをしているようにも見える。
そう思うのは本物のサファリ、ケニアとタンザニアを私が目指しているからなのかな。

そこには、パンダもクマも、シロクマだって居ないけれど、近いうちに必ず。


wacana*

テーマ:動物園
ジャンル:地域情報

新しいサンダル*

2012.05.23 10:51|wacana*のこと
        足と海




          いつもより、高い

          ヒールのサンダルを買った

          いつもより、少し

          背伸びしてみようかなっ



          wacana*


.

テーマ:わたしのお買い物ヽ(´ー`)ノ
ジャンル:ライフ

タグ:wacana*

上野動物園* 普通のエッセイVer.

2012.05.22 18:44|wacana*のこと
久々の上野公園は変わっていました。思い出の噴水がなくなり、商業的にスターバックスが大きく展開されていました。身近に感じさせてくれる"皆の地元な公園"としての良さはなくなっている気がして寂しい気持ちになったのは私だけでしょうか。ただ沢山の人が来て清潔感のある公園が現在は求められているのかもしれません。

そんな新しい風を受けて上野動物園に進みます。
安心するのは上野動物園の城下町的な小さな商店と小さな遊園地です。昔から変わりません。パンダグッツがあちこに並んでいました。皆さんパンダが好きなのですね。
さぁ私たちも入ります。チケットには白黒のキリンの写真がプリントされていました。キリンに心が弾みます。友人のバイソンには笑いが。1枚1枚違うようです。こんな所からも楽しませてくれるのですね。そして、よく見る海外の美術館チケットのスタイルに驚きもしました。

さて、やはり最初はパンダです。
その場所は昔と変わらず入ってすぐ右側にありました。そしてもう一つ変わらなかったのは、パンダの列です。一時期は、いなくなってしまったパンダ。その間、随分と閑散として淋しい時間だったのだろうと、この賑わいを見て想像してしまいました。
子供連れの家族が5割。そして子供連れのグループが2割です。そんなにも多くの子供がパンダを待っています。キャッキャ、ワイワイ心を躍らせながら。勿論、私たちもそうです。15分ほどでしょうか。白と黒の動くものを目にしました。間違いなくパンダでした。一頭は、タレパンダの如くダラッとしながら笹を加えており、もう一頭は、木の棒で遊んでいました。あんなに動いているパンダは見たことがありません。外に居るという効果なのでしょうか。あの時のことを今冷静に思い返すと、子供とか大人とか関係なしに、興奮しました。いえ、もしかすると子供よりも・・・・。

その後は、象やクマ、そしてライオン、トラ、シロクマと、「次は次は」とドンドン進みました。
気候のせいかもしれません。動物達の動きがあったので、目で追いながら楽しみました。

トラを見て思い出したのが、小学校時代の国語の教科書にあった、サービス精神旺盛なトラと冷静で愛想のない黒ヒョウのお話でした。お客さんが来ると「ガオー。」と威嚇したふりをするトラに対して、黒ヒョウは疑問を投げかけます。「そんなことをして何になるんだい。」と。トラは、キャーキャー皆が喜んでくれるのが嬉しいと言い「ガオー。」を繰り返します。しかしある時、トラは喉を壊してしまうのです。落ち込むトラ。そしてつまらなそうに帰って行く子供達を見ているうちに、黒ヒョウが立ち上がり「ガオー。」と。
上野動物園には、隣の敷地どころか、黒ヒョウ事態居ませんでしたが、「もしかしたら、トラは私たちを喜ばせようとしているのかもしれないな。」などと思う私なのでした。
「ガオー。」


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テーマ:動物園
ジャンル:地域情報

タグ:上野動物園 パンダ wacana*

普通の文章*

2012.05.21 17:54|wacana*のこと
発信先が不特定多数の場合、捻りのない偏っていない文章でなければ駄目なのでしょうね。
最近、リーフレットやパンフレットなどに掲載されている文章に目を通すことが多い。正しくは、読むように心がけている。他の人がどんな文章を書くのか気になるし、何より勉強にもなるような気がするからだ。
読んでいて思うのは、偏りのない気持ちの良い文章が多い、ということ。という訳で、冒頭に記載の想いに至った訳です。

ここで困るのは、私は普通の文章が書けない。
自分が面白いと思ったことを無視して普通の筋道を辿れない。
でも試みてみるのもいいかな。敢えてなら面白みをもって書けるかもしれない。折角毎日更新で、本当は1日何度だってUPしてものいいのだから色々やってみよう。

ということで、明日は「普通のエッセイ」に挑戦!

テーマ:日常日記
ジャンル:その他

逢うべくして逢った*

2012.05.20 22:58|wacana*のこと
明日は、幼なじみの結婚式です。

彼女と出逢ったのは、7歳位。
なぜ“位”などとアバウトに言うかというと、それには訳があるのです。

小学1年生の10月に、叔母夫婦に那須に連れて行ってもらいました。葡萄狩りです。そこは、葡萄狩りだけではなく、BBQが出来たり、小さなふれ合い動物園があったり、小さかったせいでしょうか、とても広い敷地に感じました。

さて、そんな園内を歩いていると、少し離れた所にいた女の子と目が合ったのでした。
「あれ?あの子、見たことある。」
私がそう思うと同時に、女の子は手を振ってきました。目は合ったままです。勿論、私は手を振り替えします。声を交わすことなく、私たちは別れたのですが、私の中には大きな核心がありました。
「あの子は、同じ小学校の子だ!」

そう思っていた女の子とは、3年生の時に同じクラスになりました。
それから“地元の友達”といえば、彼女です。

同じクラスになって、友達になって後も、私たちが那須で会ったことを彼女に特別確認することはありませんでした。それは、彼女も憶えているものだと思っていたからです。寧ろ、敢えてそんなことを思ったりもせず、また疑いもしませんでした。
多分、中学生の頃だったと思います。どういう流れでその話になったかは憶えていませんが、不意にその話をしたのでした。しかし、彼女は憶えていませんでした。衝撃でした。憶えていなかった単体の事よりも、私は那須での出会いがあって「わぁ同じクラスになったね!」と同じ気持ちで居たと何年もの思っていたのに、違ったという長期的な部分からの衝撃です。
それからというもの、何年もの間この話を繰り返しします。私が「10年来の友人」というと、決まって「8年来の友人」と言い直します。という訳で、冒頭では結婚する彼女に配慮して「7歳位から」と書いた訳です。

さて、その事実はという所についてです。
ある時、彼女の母親に那須に行ったかどうか、聞いてみました。すると「行ったよ」と!
彼女は、私と那須で会った事を憶えていないのですが、その日、その地に行っていたと彼女の両親は言います。つまり、私の判断と記憶は確かだったのです。

人の手では左右できない何かがあって、私たちは手を振り合う事になったのだと、今でも思っています。それが縁というのでしょうか。
逢うべくして、逢った。
そんな出逢いがこれからも沢山あったらいいなと、彼女との出逢いが、私にそう思わすのです。

明日は、幼なじみの結婚式です。


wacana* 


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テーマ:手紙・メッセージ
ジャンル:その他

タグ:wacana

通勤2時間*

2012.05.19 23:33|会社のこと
先日、完結した本の番外編を読み始めた。

前半の中盤でやっと主人公が出てきたと思ったら、
話は3年後に移り変わり、彼が結婚した事実が伝えられた。
それも彼の発言からではなくト書きである
『隣で洋裁をしていた妻が』
という文からだけの紹介だった。

意図も簡単に結婚を果たした彼に、茫然とした往路。
まんまとやられたーと車内ではにかんだ復路。

通勤2時間は苦しくも貴い。



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テーマ:小説
ジャンル:学問・文化・芸術

タグ:wacana

私の神様*

2012.05.18 14:25|wacana*のこと
今、苦しい想いでいる。
でも元気なふりは出来る。(周りがどう見ているかは別として、ね。)ただ、ふりをするのって凄い体力がいるみたい。凄い疲れて今まで出来ていたことが出来なくなる。

先日、友人(以後/今後、サツキ)と落ち込み方の違いについて話をした。
サツキは喪に臥すように人と合わずに落ち込み、私は独りでは要られなくなり、人と会っては疲れて弱る。辛さを疲れに変換しているのかも?どちらの方が回復が早いかは別として、10年来の友人なれど、あまりの違いに二人して驚いた。

宗教でもなんでもないけど、私には私の神様が居る。
私のi-Pod様には荒井由実の『優しさにつつまれたなら』という歌が入っている。

 小さい頃は神様がいて
 不思議と夢をかなえてくれた

という歌詞があるが、この歌詞を聞いては
「大人になっても神様は居るもん。」
と言い返す。勿論心の中で。

さて、その私の神様、いくら辛くとも精神的に楽することを許してはくれない。辛いことを忘れたい、何かで消したいと思って行動しても、何かしらの結果はあれど意図したものは伴わないのだ。もう手詰まりだから横道にそれてみようとしたけど、辛さに向き合えってビシッと言われた気がした。向き合うことでこの先に何が待っているというのだろう。早くそれを気付きたい。

辛い気持ちといくら睨めっこしても相手はなかなか笑ってくれない。
そろそろデスクにダルマを置いて、笑わせる練習しよっかな。


wacana*

テーマ:モノの見方、考え方。
ジャンル:心と身体

タグ:wacana

エッセイとは*

2012.05.17 23:00|wacana*のこと
これが本当のエッセイかどうかはわからないけれど、毎日書いてみて思うことがある。
私のエッセイって『今思った気持ちを未来に過去として掘り起こす作業』。そして今思った気持ちとは、今を詠んだ詩のこと。詩が詠めるからエッセイが書ける。逆に、詩が詠めなければエッセイは書けないことになる。

自然や人や景色、食べ物、何からでも感じたことがあるとそれを言葉に換えるが好き。それもあって独りの時は、常に頭の中でお喋りしている。それを今、文章にすることにしてこのブログは成り立っている訳だ。
ところで、この頭の中でのお喋りって皆そうなのかな。改めてみるとそんな確認したことない。病気だったらどうしよう。って変な心配などしてみたり。(ほら、独りでお喋りしてるでしょ!)病気だったとして、言葉にしないと息苦しいのだから仕方ない。
一応、言葉に出来ない想いも中にはあって、それにしんみり浸るのも好きなので、つけ加えておく。

私は小説家でも建築家でも写真家でもない。エッセイは、想いを形に替えている芸術家が普段何を考えているか書き綴るのが面白いのではないのかな。
「ああ、あの時のあれはそういうことだったのか。」
とちょっとした謎解きみたいな、ほんの少し本当の顔が見えるような。
はて、私のように仕事や人生に、そういった前提がない場合はどうなのだろう。簡単に逆の発想をしてみると
「ああ、あの時のあれはそういうことだったのか。」
と会ってみて思われる訳で、“あの時のあれ”はエッセイに書いた事柄だったとして、私に会って“そういうこと”とはどんな謎解きなのだろう。いや、本当に逆のパターンというのは、私と知りあった後に私の文章を読んで「ああ、・・・」と思うことになるのかな。私と文章にはギャップがなきゃ駄目ってことかもしれない。会うと普通で文章は奇抜か、会うと変人で文章がまともか。どちらがいいのかな、なんて変なことを考えて、それを書いている。
自分で書いていて何がしたいのか意味わからんくなる(笑)

まぁまた同じような想いになった時が来たら、今日までを掘り起こして、続きを書いてみよう。


wacana*


テーマ:日記
ジャンル:日記

タグ:wacana エッセイ

【岩手の春*】 TBT;第1429回「最近撮った写真は何の写真?」

2012.05.16 11:00|岩手のこと
    岩手の春




   いつも見ていた地が艶やかに見えました

   春です*

   何度も桜をみつめました
   春と向き合いたくて

   何度も腕をひろげました
   春を受け止めたくて

   何度も綺麗という語をはっしました
   春に心を奪われて

   何度もシャッターをきりました
   春をあの人に伝えたくて

   何度も何度も何度も


   春が儚いものだとわかっているから
   私はあの時
   東北の春を強く確かめたかったのです


   wacana*

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テーマ:写真にコトバをのせて
ジャンル:写真

タグ:岩手 wacana

そして、モルディブとマーシャル*

2012.05.15 23:37|マーシャルのこと
では、岩手とは別に、日々想いを馳せているもう一つの地、マーシャル諸島のお話。

マーシャル諸島に何故行くことになったかは私のもう一つのブログをご参照頂くこととして、
人生をつまらなくする素晴らしい方法

まずは、海の話をしよう。

今まで潜った地域を順に挙げてみる。
沖縄/久米島、鹿児島/与論島、八丈島、マーシャル、グアム、エジプト/紅海、パラオ、初島、メキシコ/ラパス、パプアニューギニア、モルディブ、モルディブ、スペイン、パラオ、モルディブ、真鶴、岩手/三陸、モルディブ、伊豆、メナド&レンベ、マーシャル、タイ/カオラック

自分の生まれ育った地やよく行く旅先なんぞに着くと「帰ってきたぁ!」と思うことがありはしないだろうか。
私はモルディブの海で、潜った瞬間にそれを感じた。同じポイントを潜っている訳ではないのに、身体が感じた水温と8分前に太陽から放たれた光が見せた海の景色が「今モルディブに居る」ということを教えてくれた。「帰ってきた」そぅ頭が判断しただけだった。
モルディブだけではなく、ここ数年でリピートする地が増えてきたせいかな。

マーシャルもその1つ。
初めてマーシャルで潜った時にガイドしてくれたのが、現『raycrew』のオーナーHIRO氏。彼と潜った時に、突然私にスレート(磁石と砂鉄を利用した海の中で使える黒板)を向けた。
「枝サンゴ元気です!」
贅沢なのでしょうね。経験本数15本程度で、初の海外ダイビングという私には、サンゴが元気だということを敢えて伝えてくる意図がわからなかった。けどね、上に記した場所を潜ってきて、マーシャルで今言えることは
「枝サンゴ元気です!」
ということ。その価値がやっとわかった。

マーシャルのサンゴ、深場は勿論、浅場が凄い。浅場であんなに生き生きとしたサンゴは見たことがない。そして浅場なだけに光が届く。光の効果が更に美しく見せるのです。つい“ですます調”になってしまう程です。笑。
凄いのはそれだけではない。干潮時にはサンゴが顔を出すこともある。私はまだその瞬間と出会えてはいないが、写真を見る限り、絶対に見たい。いつかじゃなくて、ちかいうちに!

そして透明度も良し。
何より青という色の素晴らしさ。マーシャル諸島の1つであるアルノ環礁の青は、どんな青か言葉で表せなかったので、もう“アルノブルー”という名を(勝手に)つけてきた位だ。
ダイビングの何たるが好きかという自問自答をした時、答えは「海の中に居ること」である。勿論、大物にも興奮するし、群れる魚にもキャッキャする。しかし、海の中にいるだけ、なにもなくても魅了されるのはマーシャル。
全てを含めて、こんなにも心奪われる海は、マーシャルしかない。

これだけ喋っておいてなんだが、本当はマーシャルが素晴らしいことを言いたくはない。皆には知らさずにソッとしまっておきたい、そんな存在なのだ。

テーマ:ダイビング
ジャンル:スポーツ

タグ:ダイビング マーシャル アルノ環礁 raycrew モルディブ wacana*

タイと岩手とマーシャルと*

2012.05.14 15:41|岩手のこと
タイフェスティバルに向かった。
今、私の周りに居る多くの人達はタイという国がきっかけでつながっている。タイにあるダイビングショップだ。

東北地方太平洋沖地震の直後、花巻市生まれの佐藤さん(以後、総称くまさん)の動きにより集団でのボランティア活動が始まった。その主たる活動が海に沈んだ瓦礫の引き上げである。海中にてダイバーが瓦礫を縄で縛る。グッグッと縄を2度引っ張るのが引き上げの合図。陸地にはその合図を待つダイバー(現在はダイバーでない人も沢山)が待っていて腕で引き上げる。独りで上げれるものから「せーのせーの」と声を掛け合って引き上げるもの、機器を利用してのものと地道な作業が続くのだ。
日本各地からダイバーが集まった。それは今やNPOとしての活動に至る。
まあこれが三陸ボランティアダイバーズの簡単な紹介である。

さて、私とクマさんとの出会いは6年前に遡る。書きながら6年も時間が経っていることに驚く。。。
そこはタイではなくマーシャル諸島だった。ミクロネシアに位置するいくつもの環礁からなる国だった。私はその国に視察で向かった。初めての視察に初めての海外ダイビング、初めての独り旅と初めて尽くし。全てが新鮮だった。そこに居たのがくまさん。
私がくまさんと一緒に過ごしたのはダイビングをした1日と1回の夕食。夕食はフレームツリーというローカルのボリューム満点のピザ屋さん。
「この店、ネズミが柱を走っているんだよね」
入店前に誰かが言った。そして言葉通りの光景が45度上の位置で確認出来た。
「うわぁ、本当だ!」
日本なら嫌悪するネズミもマーシャルの木造の店で遠目に見るなら少々可愛くも見えた。
今、クマさんとマーシャル話をすると、この時のエピソードが出て来る。印象深かった時間が同じだと嬉しいし、同じ時間を共有したことを実感する。

クマさんとはその後、日本のイベントで1度会ったきりで3年が過ぎた。
ある日、くまさんと同じくマーシャルで一緒だったクスさんからメールを貰った。サーモンスイムのお誘いだった。はて、サーモンスイムとは??彼らの造語であるのだが、川に浸かって鮭の遡上を観察する、というものだった。そして岩手県花巻市のクスさんの家に寝泊まりし、温泉と美味しいもの三昧との通知。

人見知りの私。普段なら、知らない人が沢山居る所に独りで行ったりしない。しかし、その年の目標が「友達100人つくる」だったのだ。なぜならその頃、「大人になると友達って増えない!」って思っていて友達を100人、、、とは言わないが友達を増やしたい、という想いがあった。サーモンスイムに行こうと決めたのは、そこからの想いだった。本当、不思議なものだ。
「皆、気心知れた人だから」
という返信が来て、少し安心したのを憶えている。
そして、事実、気心の知れた人達ばかりだった。
夜、秋葉原を出発して早朝に花巻に到着した。花巻に着くとすぐに、クマさんと合流した。3年ぶりのクマさん。大きくなっていた気がした。
「やぁーwacana*ちゃん、久々だねー。」
と、握手。あの時のクマさんが忘れられない。

さて、その時のサーモンスイムですが、夏が長かった為、水温が高く遡上の時間が早かった。
でも、私の近くをのぼる鮭の目が力強く、生きる力を感じた。
「もっと見たい」
そんな思いが強く「来年リベンジしようね!」と約束。
そして、5ヶ月後の東北地方太平洋沖地震。それが、上記で述べた三陸ボランティアダイバーズの活動につながってくる。

岩手への結びつきに運命的なものを感じる大きな理由の2つの内、1つがクマさんとの“出会い”になる。
岩手と私を結びつけたものはなんだったのだろう。目には見えない何かがそこにあって、私は今日も岩手のことを想うのだと思う。
そして、岩手とは別に日々想う地がある。マーシャル諸島だ。

2つの地を想いながら、タイフェスティバルへ向かった。


テーマ:東北地方太平洋沖地震~The 2011 off the Pacific coa~
ジャンル:その他

タグ:岩手 花巻市 タイ マーシャル 三陸ボランティアダイバーズ ボランティア wacana

枕が変わると*

2012.05.13 00:50|旅でのこと
枕が変わると眠れない。
という言葉通り、旅行先や友人宅で眠れないことが多い。詳しく紹介すると、眠りにつくのに時間がかかるのと、眠りが浅くて目が覚めやすいの2点。なので旅行の初日は結構大変。周りが寝息をたて始めた頃にやっと眠れそうな気配を感じる。そして早起きな人がトイレに行こうとするものならば、目が覚める。(そのまま起床には至れないのだが・・・)そんな具合でいつも寝泊まりをしていた私。

ある旅先での2日目。
「昨日の夜は、何度も目が覚めたよ。」
というので
「私は、眠れない。」
と言った。すると
「いやいやー、よく眠ってたよ!」
と強く否定してきたので、眠りにつくのに時間がかかることを告げた。加えて、貴方の寝息を聞いたことも。
「じゃ今晩、私が『手!』と言った時に起きていたら手を挙げて。」
私は直ぐさまそれに了承した。

これは、その日の昼間の話に遡る。
自分が仕事を始めたばかりの頃の回診時に「何か心配な事はありませんか?」と年配の患者さんに尋ねたそうな。
「夜、眠れない。」
と、私と同じ発言。
「いやいやー、よく眠っていましたよ!」
と、私へと同じ返し。前夜の見回り時には、その人はよく眠っていたと。しかし患者さんは、眠れないことを主張する。その頃はまだ若かった故に「はいはい、そうですか。」とは言えず、
「では今晩、私が『手!』と言った時に起きていたら手を挙げて下さい。」
という約束を取り交わしたそうだ。
さて、その患者さんはというと、夜の見回り時に手を挙げることはなかったと。そして自分も随分大人気なかったと反省に至る結末だった。
という訳で、私が直ぐさま『手!』に了承したのは、昼間の話と同じくだりが展開されたからだった。

「手!」
ベットに入って突然の声にも関わらず、バッっと手を挙げた私。
「良い反応だね。覚えていたんだ。」
と、笑いながら言う。
私は楽しかった話や笑い話を何度もしつこくするが好き。そして、そういう話は時間が空いても直ぐに思い出せる質ので、同じような感覚の人との会話はもっと好きな事だった。つまり、こういう会話はお手の物。
そして暫くお喋りしている間や寝る前まで「手!」と言われ、手を挙げる、というやり取りは続いた。そして私は例によって、相手の寝息が聞こえた頃、ようやくウトウトし始めたのだった。

「手!」
目を開けると外が明るかった。そしてすぐに手を挙げた。
「あ、凄いね。起きてたんだ。」
我ながら、目覚めてすぐの挙手には凄いと思った。私って反射神経いいのかな。今までの挙手により私が眠りにつくことの悪さや眠りの浅さを証明出来たと思った。
「うん。わかったよ。」
とは言ったものの、話は続いていて、実は夜中に目を覚ました時に「手!」と発していたそうな。眠っている私は勿論、手を挙げる訳もない。それも1回ではなく、目が覚めた度に言っていたと。それを知った私は、夜中に一人「手!」と呟き、手を挙げて貰えない時の虚しさを想像して、笑いが込み上げてきた。それもその虚しさを感じても「もしかしたら」とめげずに繰り返したしつこさが、私もしつこいだけにツボにはまったのだった。

これは、彼との中での最も好きなやり取りだ。
枕が変わると笑いが生まれる。

因みに、胃の弱い私は夜更かしすると胃痛がはしる。
「枕が変わると胃が痛む。」
これも取り急ぎ、付け加えておきたい事項だ。

テーマ:旅コラム
ジャンル:旅行

タグ:wacana

31のチョコミント*

2012.05.12 14:26|wacana*のこと
アイスが好きでたまらない。
体調をくずして食欲がないでいる最中もアイスだけは食べられた。というかアイスは食べてもいいもの(イコール食べると安心出来るもの)という頭があった。

時に、新しい冷蔵庫を買ったときのこと。冷凍庫とは別に氷が自動にできるスペースと同等のスペースがある冷蔵庫を買った。この氷スペースと同等のスペースは、希望の温度を設定して保温できるというものだった。かねてより、冷蔵庫に入れたアイスが冷凍庫臭さにやられることに、嫌気をさしていた私は、このスペースをアイススペースにしたい旨を提示た。その意見は、アイス好きの家族により、過半数以上の賛成を経て晴れてアイススペースになったのであった。という訳で、うちの冷蔵庫にはアイスがロゴロゴしている。

何もアイスが好きなのは家族だけでない。仲の良い友人達もだ。呑んだ帰り道でコンビニを見つけては、アイスを買うといのもよくやる。ある年の12月。友人宅の近くの焼き鳥屋で飲んだ帰りに、例によってコンビニに寄った。私の中では自宅近くのコンビニAのアイスの品揃えには、難があった。それはアイスの種類が似通っていることだった。なぜ、バニラアイスばかり揃えるの?なぜ、最中アイスを3つも並べるの?とアイスの売り上げUPを狙っているのかを疑いたくなる程だった。勿論、その店のスタッフにだって選ぶ権利はあるはすずだから、私の自宅近くのコンビニAとは意見が合わないだけであろう。(なので私は、コンビニFでアイスを購入することにしている)さて、その友人と寄ったコンビにはAであった。悩みに悩んで一番最後にレジに並んだのだった。そして、1月。また同じ焼き鳥屋に行った時に友人が言った。
「あそこのコンビニAつぶれたんだよね。」
私の持論であるコンビニAのアイスの品揃えが似通っているというのを知っていただけに、その後、私たちの中で『アイスの品揃えが悪いからつぶれたコンビニ』とされている。

レディーボーデン、ハーゲンダッツは勿論のこと、井村屋のアズキバーだって、ガリガリ君だって、ピノだって、ジャイアントコーンだって好きだ。(カップ系のアイスはあまり食べない。)そんな中で、サーティワンのチョコミントはグンを抜く素晴らしさ。今だって冷凍庫に常備されている。食べだしたら止まらないし、身体が許すのならば、毎日だって食べたい。
例えば、31の夏のイベントで『ダブルを買うとトリプルになる』という夢のイベントがある。この時なんぞは数日前から心踊る。
「お次のお客様は、どちらになさいますか。」
「あ、チョコミントを。」
「おあとは?」
「あ、チョコミントを。」
「・・・おあとは?」
「あ、チョコミントを。」
「あ、はぁ・・・・」
最後の「」は声には出されていない、私が推測する声である。とまぁ、最初のうちはこんな具合に言っていたけれど、そのうち、
「あ、チョコミント3つで」
と簡略化。流石の友人もトリプルチョコミントを目にすると驚く。「本当にすきなんだね」と。
私はこのトリプルに対してよく発する言葉がある。「だって、1つ食べてもまだ2つあるんだよ!」という当たり前のこと。しかしこれ以上に喜ばしい事実は他にない。念のため並ぶ事実があることは付け加えておくわね。

そんなチョコミントは母の受け売り。私の記憶にある最初のチョコミントは、母が買ったものから貰ったもの。初めは美味しいとも思わずに食べた、という思い出。そして2つめに古い記憶は、小学3年生の友達の誕生日会である。それもこの時に出て来たのは、ただのアイスではなくてアイスケーキ。この当時にしては、珍しいものであった。因みに、以前の31のアイスケーキは、ほぼチョコミントだった。誕生日の友人がチョコミントが好きだったからなのか、アイスケーキにしたかったからなのかはわからないけれど、このアイスケーキは、子供心をくすぐった。それから、いつか自分の誕生日にはアイスケーキをと思い、早20年以上が経つ。しかし、そのチャンスは訪れてはいない。1つの大きな理由は、31のアイスケーキの中に、チョコミントが消えてしまったからである。それも自分で買うことができる高校生の頃には、既に無かったのだった。今やスヌーピーなどで可愛いくデコレーションされて、ストロベリー、チョコレート、キャラメルなどのアイスで構成される。着色料まみれの青いアイスは、子供には人気がないという判断?事実だったのだろう。実に悲しい。今も変わらず、チョコミントが復活していないか少しの望みを持ってチェックをするも結果が無残であることは、言わずとも推測して欲しい。
しかし、私の野望は失われた訳ではない。特注という方法が残っている。お金を払えばやってくれないことはない!、はずだと思っている。いつか自分の誕生日を31のチョコミントケーキで祝いたい。
それはやはり、31歳の誕生日かな?

テーマ:アイスクリーム
ジャンル:グルメ

タグ:wacana 31アイスクリーム チョコミント

痒い切手*

2012.05.11 15:20|会社のこと
特別綺麗好きでも、普通に綺麗好きでもない私は、線が曲がっていたり左に寄りすぎたりしているのをみると腕や首が痒みを感じる。実際にかいてしまうことだってある。それは昔の漫画に出て来る締切前の作家がする仕草に似ているではないのか?なんて思う。

そんな私は職場で郵便物を出すときに、このいやーな感覚に襲われることが多い。住所や名前が下がっている、封を綺麗に出来なかった、切手を曲がって貼ってしまった・・・違うのだ。そうではない。
送料が200円のグラムをさしている時に、120円と80円の切手を貼らなければならないことだ。2枚も貼らなければならないのも宛ら、並べるのが嫌なのだ。それも同じサイズならまだしも80円切手がデカイ。通常の1.5倍位。それも縦長。震災への寄付金が20円含まれている特別切手だからだ。サイズは変えずにデカクした紙代の分も全部寄付金にまわしたらいいのに、、なんてこのへんな痒みを背景に文句も言ってみたくなる。
だってどうやって貼っても美しくなーい!!!「うー」と唸りながらかく。。

さて、お気づきの方も居るかと思いますが、世の中には200円切手なるものがありますよね。常々200円切手を貼りたいと思っている私。しかし、うちの会社には200円切手がない。なぜないかはわからない。けどないのが事実。次に切手をまとめ買いする時に、絶対に主張しようと決めていた私。何度も痒い思いをしているうちに、そのチャンスがやってきました。
「最近200円の郵便物多いと思うのですよね。毎回切手を2枚貼らなきゃならないし、200円切手を買いませんか?」
「なんで?120円と80円貼ればいいじゃん。」
早くも玉砕。2枚貼るのが嫌だから、という理由が却下されたので、次は
「うちにある80円切手は大きくて、2枚貼ったら見栄え悪いですよ。」
「いいでしょ別に。」
そりゃ私が痒いだけだけどさー。敢なく却下で購入手続きは行われた。
そして翌日のこと。
上司が郵便物を出そうとしていた。秤に乗せると200円のメモリ。私はまだ200円切手を諦めた訳ではない。切手を探す上司に私はすかさず突っ込む。
「これも200円ですよ。80円切手大きすぎませんか?それなのに120円のと並べて貼るなんて。」
「いいじゃん。」
昨日の繰り返しだろうが関係ない。めげずに続けるのみ。
「それに200円切手なら1枚ですよ。」
「・・・え。200円切手ってあるの?それは便利だね。」
え、っと言う言葉を遣うべき人は間違いなく私だったと思う。上司の頭には200円切手イコール100円切手×2枚、だったらしい。何故!と本人に問い質したいが答えは簡単すぎた。200円切手は存在しない、私の話は聞いていない、ただそれだけだった。
まぁそんな捻りのない話は何処にでも転がっている。ただ何よりも、悔しさが痒さを生んだことを声にしたかった。意図や理由があって却下されるものならば(諦めるかは別として)仕方ないと思えども、そうじゃない。同意が得られたのに、なぜまた痒い思いをしなければならないのか。ああ痒い!!
私はまだ当分、80円切手に苛まれる。


テーマ:その他
ジャンル:その他

私の頭の常*

2012.05.10 17:43|wacana*のこと
ダイビングは何がきっかけだったの?

久々に、ダイバー仲間じゃベタな質問をされた。
私にとってダイビングをすることは自然の成り行きだった。ライセンスはとるものという意識が無意識にあった。しかしその無意識も掘り起こせばなんてことはない。小学校一年生の時の担任の先生がダイビングをしていたようで、年賀状には決まってその年(去年)に潜った海の写真が飾られていた。そのやり取りを10年ほど続けていれば、ダイバーでもなんでもない両親から生まれた子にだって、ダイビングというチップが組み込まれる。
私のダイバー人生はあの先生が担任になった時から決まっていたのだ。
うーんなるほどね。私の人生も、意外と奥深い。

小学一年生の時に同じクラスだった友人の母親と母が昔話を始めると、ここ数年きまって出てきていたのは、その先生が私のことを『こどもらしいこども』と表現した話だった。成人を迎えてから初めて聞いた私は、驚いてほんの少し笑った。本当にこどもなのに、こども“らしい”って。無意識に過ごしていたあの頃の私を、思い出そうにも無理がある。思い出せたところで客観的にも見れない。兎に角、誉め言葉としての『こどもらしいこども』だったと聞く。

さて、果たして今、私は『おとならしいおとな』であろうか?
最近は、周りの人からは自由すぎるだとか、頑固だとか言われる。天真爛漫だとか、頭の回転が速い等と良く言ってくださる方(ちょっと敬意を表して)も居る。どう考えてもおとなじゃない。ただの『こどもらしいおとな』だ。我ながら笑える。そして今、おとなという事実があって、このこども“らしい”という言葉が気持ちよくフィットとする。あの先生は私の未来も見据えていたのかしら。

人生を振り返ってみると縁のような必然だったような、そう思えてならないような、そう思えばそう思えるような、時には無理矢理そう思いこまなければならないようなことが沢山ある。誰にもわからないことだから過去と現在を面白くも結びつけ、時には未来にも目を向け妄想の世界に浸る。
これが私の頭の常だ。


来年はあの先生に、今年潜った海の写真を飾って、年賀状を送ろう。

テーマ:はじめまして
ジャンル:その他